我々は日本という『比較的』平和な国で安寧に過ごしています。
しかし、本当にその状態に満足しているだけでいいのでしょうか?この疑問を持ちつつ、あらゆる事項に物申していきます。
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ブログをご覧の皆様、2013年が始まりました。本来ならば新年のご挨拶とまいりたいところですが私は去年、母方の祖母を亡くして喪中の為、ご挨拶ができません。そこで私自身の抱負を語ることでご挨拶の代わりとさせていただきたいと思います。
私の今年の抱負は『中庸』の視点で物事を見極めて積極的に行動する事です。ご存知の通り、去年の衆議院総選挙で自民党政権に戻ってしまってからというもの、国粋主義的な発言が目立ち、あの忌まわしい戦前時代に逆戻りする傾向の世の中になってしまっています。次の一言は大文字で書かせていただきますが
はっきり言って『歴史認識』の風化が進行してしまっています!!
その為にも極化してしまっている右にも左にもよらず、あくまで『中間』的視点で社会問題を見つめ、物申し続ける所存です。
ところで皆さんは『小林虎三郎』と『河合継之助』という人物をご存知でしょうか?あまり知らない方が多いと思われますが前者は我が親友が『ヒトラー』呼ばわりしていた小泉純一郎が首相だった頃、『米百俵』の精神を声高に叫んでいましたがその『米百俵』のエピソードを作った人物です。
何故この二人の名を挙げたのかと言いますと後者の河合を主人公にした司馬遼太郎の小説『峠』でこんなエピソードがあったからです。
(以下で取り上げるエピソードはあくまで司馬氏の書いた創作であって史実ではありません。)
虎三郎と継之助は藩校時代からのライバルでお互いの考えや行動を批判・論戦しあっていた。
ある時、虎三郎の家が火事にあって焼失してしまった。すると継之助は何を思ったのか衣服などの生活必需品を用意すると彼の避難先に届けた。虎三郎は継之助に礼を言いながらも「こちらにはその好意にお返しするものがない」と言うと彼の政策(当時、継之助は長岡藩の家老になって藩政を行っていた)を批判したのである。
普通ならば虎三郎を『恩知らず』と言って恨み、怒りを覚えるであろう。ところが継之助は彼に怒りや恨みを抱くどころか返って彼を褒め称えたのである。その理由を訊かれると中国の哲学者、孟子の言葉を出してこう答えたという。
「いかに武威ある存在から脅されても心を屈せず、いかに貧乏しても志を変えたりせぬことを偉いという」
さて現在の我が国を見ますと外見だけ威勢のいい『愛国』という言葉が飛び交い(特にネットの中で)、共感する者だけで集まり、批判に対して誹謗中傷や罵倒・脅迫で相手を潰していく行為がまかり通っています。それを『快楽』と感じている人が多いからです。
しかし、本当の『快楽』というものはいつもあるものでもなく、苦痛や違いを排除して残ったものでもなく苦痛と違いの中にあるいはその先にあるのではないでしょうか。虎三郎と継之助のエピソードのようにお互いを批判しあいながらもどこか一部は認めるという余裕というべきでしょうか、隙間というべきでしょうか、とにかく頭の中に相手の意見を受け入れるところがなければ相手も同じ構えで反撃してくるのです。私はその相手の意見を受け入れる余地だけは例え他人より小さくても確保していこうとも思っております。
以上を持ちまして今年の抱負とさせていただきます、本年もよろしくお願いいたします。
私の今年の抱負は『中庸』の視点で物事を見極めて積極的に行動する事です。ご存知の通り、去年の衆議院総選挙で自民党政権に戻ってしまってからというもの、国粋主義的な発言が目立ち、あの忌まわしい戦前時代に逆戻りする傾向の世の中になってしまっています。次の一言は大文字で書かせていただきますが
はっきり言って『歴史認識』の風化が進行してしまっています!!
その為にも極化してしまっている右にも左にもよらず、あくまで『中間』的視点で社会問題を見つめ、物申し続ける所存です。
ところで皆さんは『小林虎三郎』と『河合継之助』という人物をご存知でしょうか?あまり知らない方が多いと思われますが前者は我が親友が『ヒトラー』呼ばわりしていた小泉純一郎が首相だった頃、『米百俵』の精神を声高に叫んでいましたがその『米百俵』のエピソードを作った人物です。
何故この二人の名を挙げたのかと言いますと後者の河合を主人公にした司馬遼太郎の小説『峠』でこんなエピソードがあったからです。
(以下で取り上げるエピソードはあくまで司馬氏の書いた創作であって史実ではありません。)
虎三郎と継之助は藩校時代からのライバルでお互いの考えや行動を批判・論戦しあっていた。
ある時、虎三郎の家が火事にあって焼失してしまった。すると継之助は何を思ったのか衣服などの生活必需品を用意すると彼の避難先に届けた。虎三郎は継之助に礼を言いながらも「こちらにはその好意にお返しするものがない」と言うと彼の政策(当時、継之助は長岡藩の家老になって藩政を行っていた)を批判したのである。
普通ならば虎三郎を『恩知らず』と言って恨み、怒りを覚えるであろう。ところが継之助は彼に怒りや恨みを抱くどころか返って彼を褒め称えたのである。その理由を訊かれると中国の哲学者、孟子の言葉を出してこう答えたという。
「いかに武威ある存在から脅されても心を屈せず、いかに貧乏しても志を変えたりせぬことを偉いという」
さて現在の我が国を見ますと外見だけ威勢のいい『愛国』という言葉が飛び交い(特にネットの中で)、共感する者だけで集まり、批判に対して誹謗中傷や罵倒・脅迫で相手を潰していく行為がまかり通っています。それを『快楽』と感じている人が多いからです。
しかし、本当の『快楽』というものはいつもあるものでもなく、苦痛や違いを排除して残ったものでもなく苦痛と違いの中にあるいはその先にあるのではないでしょうか。虎三郎と継之助のエピソードのようにお互いを批判しあいながらもどこか一部は認めるという余裕というべきでしょうか、隙間というべきでしょうか、とにかく頭の中に相手の意見を受け入れるところがなければ相手も同じ構えで反撃してくるのです。私はその相手の意見を受け入れる余地だけは例え他人より小さくても確保していこうとも思っております。
以上を持ちまして今年の抱負とさせていただきます、本年もよろしくお願いいたします。
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