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膨れあがる再稼働反対 官邸前デモ
関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働決定の撤回を求めるデモが二十九日夜、首相官邸周辺(東京都千代田区)であり、市民らが「再稼働反対」「原発いらない」と官邸に向かって声を上げた。関電は七月一日に3号機の原子炉を起動する準備を進めており、再稼働を前に徹底抗戦の場となった。
複数の市民グループ有志でつくる「首都圏反原発連合」がツイッターなどで呼び掛け、三月末から毎週末、官邸前で実施。政府の再稼働方針に反対している。参加者数は回を追うごとに増え、この日は官邸前から霞が関の財務省前まで七百メートルほど人の波が連なり、官邸近くでは車道をほぼ埋め尽くした。
デモ開始の午後六時前。学生、子ども連れの母親ら幅広い年齢層が集まり始めた。中には太鼓をたたいたり、反原発をデザインした自転車で走る人も。
参加した出版社社長の富澤昇さん(60)=東京都府中市=は「3号機を動かして他の原発も再稼働するという政府の考えが見える。そもそも地震大国の日本に原発をつくるのが間違い」と批判した。
同僚を誘って二度目の参加という会社員の岩渕政史さん(34)=墨田区=は、これまでにない参加者の多さに驚きながら「首相は国民の目線と全然違う。日本をこれ以上汚す気か」と憤慨した。
二歳の男児を抱いて子育て仲間と来た杉並区の主婦(34)は「今声をあげなかったら、子どもから『なぜお母さんとお父さんは私たちの未来を守ってくれなかったの?』と言われるかも。子どものためにも行動しなくてはいけない」と話した。
(東京新聞 2012年6月30日付けより引用)
ブログを開設している皆々様、ご無沙汰しております。Neutralizerです。
この度はこの忍者ブログに新たなブログ『移ろい行く日々に物申す』を開設いたしました。尚、この忍者ブログではもう一つブログを開設してある為、ここでは『F16dande』と名乗らせてもらいます。よろしくお願いいたします。
さて、最初に取り上げたいのは原発のことである。東日本大震災による福島第一原発の惨状があったにもかかわらず政府は財界と結託し、大飯原発の再稼動という愚行をやらかしてしまった。トップにとっては国民の惨状なぞ対岸の火事にすぎないのであろう。
私と我が親友、小野哲はこのことについて何度も原発の危険性を訴えてきた。
自分の足すら信用しない人達(Neutralizer)
中国の哲学書の一つ『韓非子』の中の逸話をタイトルにした。ある地方の男が靴を買う為、自分の足のサイズを測り寸法書を書いた。それから靴屋に行ったが寸法書を忘れた事に気づき、家に戻り寸法書を持って靴屋に戻ったが閉まっていた。
その事で知り合いが「どうして自分の足で測らなかった?」と訊ねると男はこう答えた。「寸法書は信用できても足が信用できるか。」
でこの逸話で何が言いたいかというと昨日、原子力委員会が浜岡原発4号機におけるプルサーマル計画は妥当という見解を示したことについてである。
じつは最近御前崎市(特に旧浜岡町地区)の住民や市民団体が危険であるうえに、予想される東海地震に原発が耐えられないとして反対し、運転差し止めを求めて裁判で係争している。(判決は10月)原子力委員会の見解はまさに彼らの声を無視した形である。
ただでさえ他の原発でも小規模な事故が起きているのにそれなど原子力委員会は参考にもしないのか。チェルノブイリやスリーマイルの例もある。そのうえ、わが国が唯一の原爆による被爆を受けているのだ。このことで原子力はまだコントロールしきれない力であることに気づいているはずだ。まさに今回の件は前例や住民の声という自分たちの足を信用していない例である。
(新生活日記 Neutralizerの移ろい行く日々 2007 6/26付けより引用
http://ameblo.jp/tetsuono123/entry-10037916168.html)
「地震は裁判で起きるものじゃない!地球が起こしているんだ!」(Neutralizer)
映画化し、スピンオフ作品も出たフジテレビのドラマ『踊る大走査線』で織田雄二扮する主人公:青島俊作が劇場版で叫んだセリフをもじったタイトルである。
これは以前書いた『自分の足元を見ない人達』の続きでもある。
浜岡原発差し止め訴訟の争点が地震の規模と時間的間隔である。中部電力側の東大教授は残っていた資料(江戸時代の安政年間)から事故につながる規模の地震は来ないと主張、これに対し原告である住民側の神戸大教授は5000年に一度大規模な地震が起こり、大事故につながりかねないと主張している。
私は住民側の主張が正しいと見ている。理由は地球規模で自然現象を見ると分かるからである。そもそも地球は間隔はまちまちだが大規模な変動を起こしてきた。大陸移動と恐竜絶滅がいい例である、それに人類が誕生してからの時の経過は地球規模で見れば高だか400万年である。中部電力側の主張は地球規模で見ていない。判決は明後日となった、果たして裁判官はどちらの主張を是とするのだろうか?
(新生活日記 Neutralizerの移ろい行く日々 2007 10/24付けより引用
http://ameblo.jp/tetsuono123/entry-10052426686.html)
続「地震は裁判で起きるものじゃない!地球が起こしているんだ!」(Neutralizer)
浜岡原発差し止め訴訟は中部電力側の主張を通す判決が出た。原告側は東京で集会を開き、最高裁にまで持ち込む構えである。当然であろう、前に書いたことを一言で表せば、『生あるもの、必ず死す。形あるもの、いつか壊れん』である。今回の判決は劇場版『踊る大走査線2』で真矢みきが演じた沖田仁美警視正が青島俊作に最初に言った一言「事件は会議で起こっているの。」と同じようなものである。
『が』である、それと同時に今回の裁判の裏側に我々がいかに電気に頼った生活をしているかという事も忘れてはならない。さいとうたかを著の『ゴルゴ13』の話の中に原発事故のエピソードがある。これはアメリカのスリーマイル原発事故をモデルに描いたものだが、この話の最後で原発関係者が会見を開き、記者たちの質問に答えているとき、ある記者が「風力発電とか地熱発電とかに変えればいいじゃないか。」と言うと原発関係者のひとりが「例え、それに変えたとしても住民の皆さんに電気の供給を賄えることは出来ません。果たして、我々はそこのところを両立できる方法をつくりだすことができるのでしょうか?」と言ったようなシーンがある。ある意味、これが今の我々にとっても本音であろう。なにより、公害を出してないというのも原発やプルサーマルを推進する論拠の一つなのだから。
(新生活日記 Neutralizerの移ろい行く日々 2007 10/24付けより引用
http://ameblo.jp/tetsuono123/entry-10052712139.html)
99年の教訓は生かされなかった
99年に東海村にある原子力研究所で放射性物質の杜撰な管理によって、被曝事故が起こったことを皆さんは覚えていらっしゃるだろうか。
その事故が再び東海村で起こった。『三菱原子燃料』という核燃料加工会社の工場で8日、容器に入っていた二酸化ウランの粉末が床にこぼれ、男性作業員四人が粉末を吸い込んで被曝した。(中日新聞2/9付けより引用)
あの時の教訓は全く生かされてない、いくら電気を発電するのに有効だからといってもあまりに危険な代物を何の防護もほどこさずに取り扱っていたこと(特に口や顔)とそんな危険な代物にしか頼ろうとしない発想の甘さ(特に政府)がこの事故を引き起こしたのだ。
『喉下過ぎれば熱さ忘れる』とはまさにこの事だ、未だに制御しきれない代物を使ってまでの便利さに溺れ、災害の事を忘れてしまってもいいのだろうか。
(新生活日記 Neutralizerの移ろい行く日々 2011 2/11付けより引用
http://ameblo.jp/tetsuono123/entry-10797788300.html)
今回取り上げたコラムはその一部であるがこのコラムを書いている間も政府は原発による恩恵のみ目が行き脅威に目を逸らしてきた。しかしここ最近LED電球などの節電型の電化製品だけでなく、国民も節電の必要性を感じているではないか。
更に私の住む浜松市では小規模の火力発電の誘致を計画している。これでも政府や財界は原発が必要だと考えるのか、利益のみ目が行き、思考が停止・退化している証拠である。
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