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 我々は日本という『比較的』平和な国で安寧に過ごしています。  しかし、本当にその状態に満足しているだけでいいのでしょうか?この疑問を持ちつつ、あらゆる事項に物申していきます。
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Q被告に死刑判決 全事件の有罪認定


鳥取の連続不審死事件で2件の強盗殺人罪などに問われた鳥取市の元スナック従業員、Q被告(38)の判決公判が4日、鳥取地裁であった。強盗殺人罪について無罪を主張したQ被告に対し、野口卓志裁判長はいずれも被告の犯行と認定。「悪質さが顕著。極刑をもって臨むほかない」として求刑通り死刑を言い渡した。

 裁判員制度開始以降、死刑判決は全国で15例目で鳥取県内では初。県内の死刑判決は、1951年の同地裁米子支部の判決(減刑令で無期懲役に変更)以来61年ぶりとみられる。弁護側は判決を不服として広島高裁松江支部に即日控訴した。

 弁護側はQ被告と同居していた男性(49)にも「犯行が可能だった」と主張していたが、判決で野口裁判長は男性の証言について「虚偽を述べている可能性がある」としながらも、電器店経営の円山秀樹さん=当時(57)=が殺害された時間帯に男性がスーパー駐車場に待機し、トラック運転手の矢部和実さん=当時(47)=が砂浜でいなくなった際にQ被告がずぶぬれの状態だったなどの事実を認定。弁護側の主張を退けた。

 動機については「金銭支払いを強く要求され、いとも安易に殺害を決意して実行に及んでいる。冷酷かつ身勝手」と指摘し、「強固な殺意に基づく計画的犯行。同一機会に2人を殺害した場合と比べより強く非難されるべき」と量刑理由を述べた。

 判決によると、Q被告は2009年4月4日、270万円の借金返済を免れようと、矢部さんに睡眠導入剤を飲ませて北栄町の海岸で殺害し、同年10月6日、計53万1950円の電化製品代の支払いを免れようと、円山さんに睡眠導入剤を飲ませて鳥取市覚寺の摩尼川で殺害した。
(日本海新聞 2012年12月05日付けより引用)



鳥取連続不審死 Q被告に死刑判決 間接証拠で強殺認定

鳥取の連続不審死事件で、二件の強盗殺人罪などに問われた元スナック従業員Q被告(38)の裁判員裁判の判決で、鳥取地裁は四日、求刑通り死刑を言い渡した。野口卓志裁判長は「都合の悪い存在を消すことで安泰を図ろうという動機は冷酷、身勝手。強固な殺意に基づく計画的犯行だ」と述べた。弁護側は即日控訴した。

 直接証拠がない中、弁護側は被告と同居していた元会社員(49)が強盗殺人の真犯人だと主張したが、判決は「殺害機会があったのは被告だけ。殺害で債務弁済を免れた」と退けた。

 この日のQ被告は、グレーのカーディガンと茶色のスカート姿。時折、納得できないかのように首をかしげる場面も。極刑宣告の瞬間は、証言台の前で直立したまま裁判長を見詰めた。聞き終えると深く一礼したが、傍聴席に目をやることはなかった。

 閉廷後、被害者の円山秀樹さん=当時(57)=の長女国岡知子さん(34)は、被告人質問で被告が黙秘したことに「本当のことを聞きたかった」と悔しそうに話した。

 判決によると、借金返済や電化製品代金の支払いを免れるため、二〇〇九年四月にトラック運転手矢部和実さん=当時(47)=を、同年十月に電器店経営の円山さんを、それぞれ鳥取県内の海と川で溺死させた。ほか詐欺や窃盗など十六件の罪も認定した。
(東京新聞 2012年12月5日 朝刊付けより引用)

 皆さんは14年前、和歌山で起こった毒入りカレー事件を覚えているであろうか。この事件の裁判もまた
状況証拠だけで被告人に死刑判決が下った。私もアメブロで次に挙げるコラムを書いた。

何という曖昧なままの判決



11年前に和歌山で起こった毒入りカレー事件のことを覚えているであろうか?本日、その事件で殺人罪に問われているM被告に対し、最高裁は上告を棄却して改めて死刑の判決を下した。その理由として
1:カレーに混入されたものと組成上の特徴が同じ亜ヒ酸が自宅などから見つかった
2:被告の髪からも高濃度のヒ素が検出され、付着状況から亜ヒ酸を扱っていたと推認できる
3:亜ヒ酸を混入することが出来たのは被告だけであり、調理済みの鍋の蓋を開けるなど不審な行動が目撃されたなどの状況証拠を列挙、更には「動機が解明されていないが被告が犯人であることには左右されない」と述べられた。(毎日新聞4/21付けより)
 我が親友は被告が犯人であるのは間違いないと言っているが私としては慎重な姿勢を崩すわけにはいかない、これはあくまで状況証拠に基づいた判決であり、決定的なものがないからである。それ故、今回の判決は余りにも曖昧な状態のまま、被告を犯人と断じてしまったと思っている。更に残念なのはまたもや『死刑判決』が下されたことである。何度でも言うが死刑など犯罪者にとって利益になるだけだ。仮に今回の被告が犯人だったとしてもこの判決は逆に彼女の利益になるだけであり被害者やその遺族に対する悔恨もないままうるさいこの世とおさらばという形になるだけである。
 
 余談だが裁判員制度開始まであと一ヶ月を切った。私と我が親友は去年のこの時期にもこの制度について取り上げたが今の司法の状態なら時期尚早である。裁判官や検察の『疑わしきは罰する』という考えで裁判に臨む姿勢や被告や遺族の感情に押し流される判決が多くなってきているからだ。私の父親は「例え、多数が有罪と判断しても残りの少数が無罪となるなら減刑もされる」と言っていたがどう見ても多数決の原理だけで有罪か無罪かを確定してしまうことが多くなると思っている。
(新生活日記 Neutralizerの移ろい行く日々 2009.4.21付けより引用)

 
そもそも『疑わしきは罰せず』が現代司法の精神ではなかったのか、それが上記のコラムで書いたように『疑わしきは罰する』で今回の事件も真相追及を曖昧にしたまま、死刑判決が下ってしまった。こんな感情裁判をいつまで続けるのだろうか。
 私は思う、あの大津事件(明治24年に発生)を裁いた小島惟謙の精神は死んだと。ではその大津事件と小島惟謙という人物は一体何なのか?Wikipedia日本語版から一部引用させてもらう。
 明治24年(西暦1891年)、当時ロマノフ王朝が支配していたロシアからニコライ皇太子(後のロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世)が来日した。その時、琵琶湖を観光して京都に戻る途中で彼は巡査の津田三蔵によって切りつけられ負傷した。加害者である津田はその場で取り押さえられ、日本中で『ロシアが攻めてくる』と大パニックになった。これが大津事件である。(Wikipedia日本語版『大津事件』より一部引用)
 この事件は当時の政府の意向により大審院(今でいう最高裁判所)で裁くこととなり政府首脳達は死刑を要求しようとしたが当時の大審院長(今でいう最高裁判所長官)であった小島惟謙は『日本は法治国家である』という信念を貫き、当時の刑法に則って津田を無期懲役の刑という判決を下した。(Wikipedia日本語版『大津事件』・『小島惟謙』より一部引用)
 この事件で曲がりなりにも当時の欧米列強はもちろんのこと、国際的にも主権国家として認められたわけだがそれを今紙くず同然の形でポイ捨てにしてしまっている。まだ、精神的に江戸時代の威勢だけを持ち続けて外見だけ『民主主義国家』を唱えているだけの証拠である。
 
 
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