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中沢啓治さん死去 「ゲンは怒ってるぞ」
「ふまれても ふまれても 強く まっすぐに のびる麦に…」
肺がんのため、七十三歳で亡くなった被爆者で漫画家の中沢啓治さんは、代表作「はだしのゲン」の作中で、母親が子どもたちに語り掛ける場面を描いている。
分かりやすい描写と強烈なメッセージで原爆や戦争を告発し、核兵器廃絶と反戦への強い思いを最期まで燃やし続けた中沢さんだったが、妻ミサヨさん(70)との恋愛話や、漫画家を目指した頃のことは、にこにこと笑顔で話した。おおらかで、常に前向きな姿は、「麦のように」強く生きるゲンがそのまま大きくなったよう。
しかし、父や姉、弟を奪った原爆や戦争の話になると、目つきが鋭くなる。「戦争、原爆がなければ、家族が散り散りになることも、僕らの住んでいた広島がめちゃくちゃになることもなかった」。戦争責任と原爆の問題を世に問うため、「こん畜生、こん畜生」とペンに怒りをぶつけた、と語気を強めた。
二〇〇九年九月、白内障と網膜症、そして右腕の神経障害で漫画家引退を表明。しかし戦争、原爆への怒りは、ペンを置いてからも続いた。
「しゃべれるうちは言いまっせ、ゲンは怒ってるぞ、って」。入退院を繰り返しながら、講演や取材の依頼を精力的にこなした。家族が心配すると、「気力がある間はやるんだ」と答えていた。
昨年八月五日には、マツダスタジアムであった広島東洋カープの試合の始球式に臨んだ。球団創設時からの大ファンだっただけに、「俺は、どんなことがあってもやる」と心待ちにしていた。初めてのマウンドは「ピーっと行く(投げられる)と思ったけど、ベースまで意外と遠かったね」。手ぶりを交えて振り返った満面の笑みが今も印象に残る。
「中沢さんにとっての平和って何ですか」と小学生に問われ、「皆さんとこうして自由に話ができ、意見を交わせること」と優しく答えた。その背景には、言論の自由が認められず、戦争に反対した父が非国民呼ばわりされた経験がある。「どんなことを言われても戦争だけは反対しろよ」。そう呼び掛けた言葉は、そのままゲンの思いだろう。
中沢さんには、中学二年になる「元」という名の孫がいる。核兵器や戦争のない世界を築いていってほしいとの遺志。未来を担う若い世代が、ゲンとともに受け継ぎ、実現させてほしい。 (二井理江)
(東京新聞 2012.12.26付けより引用)
今年最後のコラムとして漫画『はだしのゲン』の作者が亡くなったことを通じて原発推進の政策と国内の右傾化に警鐘を鳴らしたい。
私もこの『はだしのゲン』を一部だけ読んだことがある。あのインパクトある絵は私の脳裏にも焼きついているし、私の親戚でもこの漫画を全巻持っていた。それほどあの作品は作者の強い思いが込められていた。
しかし、作者のその思いも虚しく未だ制御できていない原子力は今でも世界中(特に先進国)で使われ続けている。戦後は冷戦下で核兵器が造られ、その実験によって巻き添えをくって犠牲者が出た。平和利用と称した原子力発電さえ、愚かな実験や災害によって甚大な事故を起こし、その周辺を人の住めない土地にしてしまった。私も我が親友もこの原子力の恐ろしさを何度も訴えたものの、我が国の政府はそれでも『原発なくして経済発展はありえない』という幻想に取り付かれている。
その上、今度の自民党政権は『愛国』の名の下に戦前の体制に戻そうとしている。これは大変に危険な事だ。何故なら国内の思想の締め付けが復活することで再び偏見意識を蔓延させ、それが国の滅びへの道をたどることになる。
私はその戦争の風化をこのコラムで警鐘した。
風化する戦争史
(新生活日記 Neutralizerの移ろいゆく日々 2007.7/27付けより引用)
今年もあとわずかだが来年は国が右傾化し、国粋主義なる魔物が俳諧することなきよう願う。亡くなった中沢氏も戦争と原爆体験者であるが故に自身が書いた『はだしのゲン』のメッセージを風化させないよう天から見ている事であろう。我々人間は一人では生きられない、それは国でも同じ事だ。
南海トラフ想定 県内死者最大10万人余
駿河湾から四国沖に延びる海溝「南海トラフ」沿いでマグニチュード(M)9級の超巨大地震が発生した場合、三十都府県で最大三十二万三千人が死亡する想定を、内閣府中央防災会議の有識者会議が二十九日に公表した。津波の死者が七割。震源域に近い静岡県内の死者数は、全体の三割以上を占める十万九千人で全国最多。三重県は四万三千人、愛知県は二万三千人に上る。
発生確率は極めて低いが、東日本大震災が想定を大きく超えた教訓から、考えられる最大の被害を推計。「冬の深夜、駿河湾の陸地寄りの震源域で地震発生。風速八メートル。直後に逃げる人が二割、最後まで逃げない人が三割」と最悪の条件を重ねた。負傷者は全国で六十二万三千人。各地の水門が機能しない場合、死者はさらに二万三千人増える。
一方で、住民の全員が十分以内に避難した場合、死者は八万五千人にまで減少。さらに耐震や防火などの対策が最大限に達成されれば、六万一千人にまで減らすことができるとした。
全壊と焼失を合わせた建物被害は、最大のケースで二百三十八万六千棟。県内の被害は三十一万九千棟と算定された。
津波による浸水域は最大千十五平方キロで、東日本大震災の一・八倍。県内では百五十一平方キロが浸水し、津波に巻き込まれた場合に死者が出始める三十センチ以上の浸水域は百三十五平方キロ。ほぼ死亡するとされる一メートル以上は百平方キロに広がる。
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また三月に公表した一次報告で示された市町村ごとの津波高も精査し、あらためて発表した。県内の最大津波高は、下田市が三三メートル、南伊豆町が二六メートル。中部電力浜岡原発がある御前崎市は一九メートルで、建設中の十八メートルの防潮堤を超える波を想定している。
有識者会議の担当者は「行政は対策を整え、市民は日ごろから防災意識を持ってほしい」と説明している。
内閣府は今秋ごろまでに経済被害を見積もり、冬ごろに全体の対策をまとめる。
(中日新聞 静岡版 2012年8月30日付けより引用)
それだけではない、浜岡原発がある御前崎市では住民投票で原発の存在を問おうとしている。次の記事を引用したのでお読みいただきたい。
浜岡住民投票 知事が賛成
◆慎重姿勢転換 16万人署名を尊重
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中部電力浜岡原発(御前崎市)の再稼働の是非を住民投票で問おうと県民十六万人余の署名を集めた市民団体「原発県民投票静岡」は二十七日、住民投票条例制定を県に直接請求した。川勝平太知事は同日の記者会見で、条例制定に賛成する意見を付けて県議会に条例案を提出する意向を明らかにした。
市民団体の鈴木望共同代表らが県庁を訪れ、知事あての条例制定請求書と、十六万五千百二十七人分の有効署名簿を県に提出した。
知事は直接請求を受理してから二十日以内に県議会を招集、意見を付けて条例案を九月十九日開会の九月定例会に提出する。条例案は採決で賛成が過半数に達すれば成立し、六カ月以内に住民投票が実施される。
川勝知事は会見で「住民投票がなされるよう議論を進める。県議会で条例が通るよう、条例案の内容を洗練して提案したい」と条例制定に強い意欲を示した。
川勝知事はこれまで、「直接民主主義はまだ地に着いていない」と住民投票の実施に慎重だった。姿勢を変えた理由を「十六万人以上の有効署名は非常に大きく、尊重したい。原発問題は関心が高いテーマであり、県民が住民投票条例を求めているなら、それを尊重するのが民主主義だ」と説明した。
また、二〇〇一年に静岡空港建設の是非を問う住民投票案が県議会で否決されたことに触れ「(住民投票が)制度的になじまないというが、このままでは住民投票制度が生かされない。県議もよく考えて議論を深めてもらいたい」と県議会での審議に期待感を示した。
東京電力福島第一原発の事故後、東京都と大阪市で同様の住民直接請求があったが、いずれも首長が反対意見を付けて提案し、議会でも否決された。
(中日新聞 静岡版 2012年8月28日付けより引用)
浜岡住民投票 県「条例案に不備」
◆県議会で修正必要に
静岡県は三十一日、市民団体「原発県民投票静岡」が作った中部電力浜岡原発(御前崎市)再稼働の是非を問う住民投票条例案に、法制度上の問題点があると発表した。
会見した山崎章二総務局長らによると、条例案には「知事が投票事務を県選管に委任する」との項目がある。しかし、地方自治法の規定では、住民投票の投開票事務は県が市町に委託する必要があり、山崎局長は「市町に効果が及ばない県の条例では、知事が市町に委託することはできない」と指摘した。
「施行日から六カ月を超えない範囲で投票を実施」としている点も問題視。市町が県から委託を受けるには、議会の議決が必要となる。条例案が投票有資格者としている「満十八歳以上」の住民を抽出する名簿を作るにも、新たなシステムを構築する必要がある。いずれも時間がかかり、山崎局長は「六カ月を超えずに執行するのは非現実的。条例案のままでは住民投票はできない」と述べた。
他にも「知事と議会は投票結果を尊重する義務がある」としながら、条例の効力を「(投票から)三カ月」と定めていて実効性が疑問視されるなど、不適切な表現や問題点があるという。
県は、知事が条例案を提案する県議会九月定例会で円滑な審議を図るため、条例案の不備をあらかじめ公表した。県当局は条例案を修正できず、原案のまま提案せざるをえない。審議する県議会は条例案を修正して可決することもできる。
条例案への賛意を示している川勝平太知事は「極めて困惑している。大変大事な条例案に、これほど多くの問題点が散見されるのはいかがなものか」とのコメントを発表したが、賛意は変わっていないという。
◆市民団体 投票実現なら修正構わない
県から住民投票条例案の不備を指摘されたことに、原発県民投票静岡の鈴木望共同代表は「あくまで住民投票の実現が目的だ。十八歳以上の投票資格者名簿の作成などが事務的に困難なら、条例案を修正しても構わない」と条例案の修正を容認する意向を示した。
鈴木共同代表は「ボールは県と県議会にある。十分に議論してより良い条例案を作り、住民投票を実現してほしい」と述べた。
◆県議会派 知事賛成浅はか、慎重に議論
条例案を審議する県議会で過半数を占める最大会派、自民改革会議の杉山盛雄・自民党県連幹事長は「条例案の不備について詳しくは聞いていないが、不備の問題も含めて、知事が最終的にどんな意見を付けてくるかを見極めた上で判断したい」とコメント。「不備があることすら知らないで、知事が記者会見で賛成を表明していたとしたら、何とも浅はか」と付け加えた。
一方、第二会派の民主党・ふじのくに県議団の野沢義雄会長は「県単位の住民投票は法的なハードルが高いが、原発問題に意見を表明したいという県民の声は高まっている」と指摘。「実務的な問題を慎重に議論していく」と話した。
(中日新聞 静岡版 2012年9月1日付けより引用)
この住民投票には大賛成である、原発は何故必要なのか、原発無しでは電力を十分供給できないのかなどを国は国民に納得できるような説明をせず、ただ淡々と方針を言って実行しているだけに過ぎない。民の声を遍く拾い上げるのも国の役目なのに我が国の政府はそれも怠ったのだ。それを原発周辺の住民が問うのは当然であろう、例え、今回の投票結果を国が握りつぶしても東日本大震災の惨状がまだ焼きついている今ならあちこちでこんな運動は今後も出てくる。その声を政府は全てつぶすことなどできないと私は確信する。
ここでコメントに対する回答をさせていただきます。
神戸俊樹様
本当に我が国はまだまだ外交後進国ですね、戦時中の罪を清算しようとせずにほったらかしにするからそこをつけこまれるわけです。我が親友は
自身のブログで韓国の従軍慰安婦に対して個人的に謝罪文を書きました。(http://tetsuono123.seesaa.net/article/289341798.html)本来なら国が本格的に清算しなければならないところを戦争行為すら一部正当化もしくは闇に葬ろうとしているんですからね。情けないと言うしかありません。
膨れあがる再稼働反対 官邸前デモ
関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働決定の撤回を求めるデモが二十九日夜、首相官邸周辺(東京都千代田区)であり、市民らが「再稼働反対」「原発いらない」と官邸に向かって声を上げた。関電は七月一日に3号機の原子炉を起動する準備を進めており、再稼働を前に徹底抗戦の場となった。
複数の市民グループ有志でつくる「首都圏反原発連合」がツイッターなどで呼び掛け、三月末から毎週末、官邸前で実施。政府の再稼働方針に反対している。参加者数は回を追うごとに増え、この日は官邸前から霞が関の財務省前まで七百メートルほど人の波が連なり、官邸近くでは車道をほぼ埋め尽くした。
デモ開始の午後六時前。学生、子ども連れの母親ら幅広い年齢層が集まり始めた。中には太鼓をたたいたり、反原発をデザインした自転車で走る人も。
参加した出版社社長の富澤昇さん(60)=東京都府中市=は「3号機を動かして他の原発も再稼働するという政府の考えが見える。そもそも地震大国の日本に原発をつくるのが間違い」と批判した。
同僚を誘って二度目の参加という会社員の岩渕政史さん(34)=墨田区=は、これまでにない参加者の多さに驚きながら「首相は国民の目線と全然違う。日本をこれ以上汚す気か」と憤慨した。
二歳の男児を抱いて子育て仲間と来た杉並区の主婦(34)は「今声をあげなかったら、子どもから『なぜお母さんとお父さんは私たちの未来を守ってくれなかったの?』と言われるかも。子どものためにも行動しなくてはいけない」と話した。
(東京新聞 2012年6月30日付けより引用)
ブログを開設している皆々様、ご無沙汰しております。Neutralizerです。
この度はこの忍者ブログに新たなブログ『移ろい行く日々に物申す』を開設いたしました。尚、この忍者ブログではもう一つブログを開設してある為、ここでは『F16dande』と名乗らせてもらいます。よろしくお願いいたします。
さて、最初に取り上げたいのは原発のことである。東日本大震災による福島第一原発の惨状があったにもかかわらず政府は財界と結託し、大飯原発の再稼動という愚行をやらかしてしまった。トップにとっては国民の惨状なぞ対岸の火事にすぎないのであろう。
私と我が親友、小野哲はこのことについて何度も原発の危険性を訴えてきた。
自分の足すら信用しない人達(Neutralizer)
中国の哲学書の一つ『韓非子』の中の逸話をタイトルにした。ある地方の男が靴を買う為、自分の足のサイズを測り寸法書を書いた。それから靴屋に行ったが寸法書を忘れた事に気づき、家に戻り寸法書を持って靴屋に戻ったが閉まっていた。
その事で知り合いが「どうして自分の足で測らなかった?」と訊ねると男はこう答えた。「寸法書は信用できても足が信用できるか。」
でこの逸話で何が言いたいかというと昨日、原子力委員会が浜岡原発4号機におけるプルサーマル計画は妥当という見解を示したことについてである。
じつは最近御前崎市(特に旧浜岡町地区)の住民や市民団体が危険であるうえに、予想される東海地震に原発が耐えられないとして反対し、運転差し止めを求めて裁判で係争している。(判決は10月)原子力委員会の見解はまさに彼らの声を無視した形である。
ただでさえ他の原発でも小規模な事故が起きているのにそれなど原子力委員会は参考にもしないのか。チェルノブイリやスリーマイルの例もある。そのうえ、わが国が唯一の原爆による被爆を受けているのだ。このことで原子力はまだコントロールしきれない力であることに気づいているはずだ。まさに今回の件は前例や住民の声という自分たちの足を信用していない例である。
(新生活日記 Neutralizerの移ろい行く日々 2007 6/26付けより引用
http://ameblo.jp/tetsuono123/entry-10037916168.html)
「地震は裁判で起きるものじゃない!地球が起こしているんだ!」(Neutralizer)
映画化し、スピンオフ作品も出たフジテレビのドラマ『踊る大走査線』で織田雄二扮する主人公:青島俊作が劇場版で叫んだセリフをもじったタイトルである。
これは以前書いた『自分の足元を見ない人達』の続きでもある。
浜岡原発差し止め訴訟の争点が地震の規模と時間的間隔である。中部電力側の東大教授は残っていた資料(江戸時代の安政年間)から事故につながる規模の地震は来ないと主張、これに対し原告である住民側の神戸大教授は5000年に一度大規模な地震が起こり、大事故につながりかねないと主張している。
私は住民側の主張が正しいと見ている。理由は地球規模で自然現象を見ると分かるからである。そもそも地球は間隔はまちまちだが大規模な変動を起こしてきた。大陸移動と恐竜絶滅がいい例である、それに人類が誕生してからの時の経過は地球規模で見れば高だか400万年である。中部電力側の主張は地球規模で見ていない。判決は明後日となった、果たして裁判官はどちらの主張を是とするのだろうか?
(新生活日記 Neutralizerの移ろい行く日々 2007 10/24付けより引用
http://ameblo.jp/tetsuono123/entry-10052426686.html)
続「地震は裁判で起きるものじゃない!地球が起こしているんだ!」(Neutralizer)
浜岡原発差し止め訴訟は中部電力側の主張を通す判決が出た。原告側は東京で集会を開き、最高裁にまで持ち込む構えである。当然であろう、前に書いたことを一言で表せば、『生あるもの、必ず死す。形あるもの、いつか壊れん』である。今回の判決は劇場版『踊る大走査線2』で真矢みきが演じた沖田仁美警視正が青島俊作に最初に言った一言「事件は会議で起こっているの。」と同じようなものである。
『が』である、それと同時に今回の裁判の裏側に我々がいかに電気に頼った生活をしているかという事も忘れてはならない。さいとうたかを著の『ゴルゴ13』の話の中に原発事故のエピソードがある。これはアメリカのスリーマイル原発事故をモデルに描いたものだが、この話の最後で原発関係者が会見を開き、記者たちの質問に答えているとき、ある記者が「風力発電とか地熱発電とかに変えればいいじゃないか。」と言うと原発関係者のひとりが「例え、それに変えたとしても住民の皆さんに電気の供給を賄えることは出来ません。果たして、我々はそこのところを両立できる方法をつくりだすことができるのでしょうか?」と言ったようなシーンがある。ある意味、これが今の我々にとっても本音であろう。なにより、公害を出してないというのも原発やプルサーマルを推進する論拠の一つなのだから。
(新生活日記 Neutralizerの移ろい行く日々 2007 10/24付けより引用
http://ameblo.jp/tetsuono123/entry-10052712139.html)
99年の教訓は生かされなかった
99年に東海村にある原子力研究所で放射性物質の杜撰な管理によって、被曝事故が起こったことを皆さんは覚えていらっしゃるだろうか。
その事故が再び東海村で起こった。『三菱原子燃料』という核燃料加工会社の工場で8日、容器に入っていた二酸化ウランの粉末が床にこぼれ、男性作業員四人が粉末を吸い込んで被曝した。(中日新聞2/9付けより引用)
あの時の教訓は全く生かされてない、いくら電気を発電するのに有効だからといってもあまりに危険な代物を何の防護もほどこさずに取り扱っていたこと(特に口や顔)とそんな危険な代物にしか頼ろうとしない発想の甘さ(特に政府)がこの事故を引き起こしたのだ。
『喉下過ぎれば熱さ忘れる』とはまさにこの事だ、未だに制御しきれない代物を使ってまでの便利さに溺れ、災害の事を忘れてしまってもいいのだろうか。
(新生活日記 Neutralizerの移ろい行く日々 2011 2/11付けより引用
http://ameblo.jp/tetsuono123/entry-10797788300.html)
今回取り上げたコラムはその一部であるがこのコラムを書いている間も政府は原発による恩恵のみ目が行き脅威に目を逸らしてきた。しかしここ最近LED電球などの節電型の電化製品だけでなく、国民も節電の必要性を感じているではないか。
更に私の住む浜松市では小規模の火力発電の誘致を計画している。これでも政府や財界は原発が必要だと考えるのか、利益のみ目が行き、思考が停止・退化している証拠である。
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